[雑記]書く気なかったんだけど…

  
昨今多いいじめ問題で数人からコメントをするようにメールをいただいたのですが、
個人の主観を延べていないのでそれを書いておきます。
  
まず死に行く人たちへ
「自殺も他殺も変わらん」と言うこと。
「自殺します」って手紙書いた時点で脅迫と同じで
関係ない(と自分で思っている)人を巻き込んでいるんよ。
死にたければ黙って死に場所を見つけなさい。
あと、最初の大臣へ直訴の手紙を書いた子は別だけど
それ以外の子は「2番煎じだから別の手を考えなさい。」と。
  
日本人は「恥」の文化です。
  
これは「死ね」と言っているわけではない。
学校でいじめにあっても学校に行かずに独学で学んで
高卒の資格とって大学に行けばいいし、
大学だって短期も通信大学もある。
社会になじめなくても転職すればいい。
わちなんかこの歳になるまで数十社転職をした。
それでも生きている。
そういったことを踏み越えた上に人生があると思います。
  
「恥」の文化とは葉隠れの精神。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」です。
これは「武士は最後の手段として皆を守る為に自己を犠牲にする。
それまでひたすら耐えて機会をうかがえ。」と言うことです。
誤解して「自決しろ。」とか「相手と刺し違えろ。」などと
馬鹿なことを言う人がいますが、本来は耐え忍ぶことです。
  
次に「何事にも順序と秩序がある」と言うことです。
人間も生物ですから上下は必ず存在します。
一緒にゴールインなどは社会において許されることではありません。
いじめる側にもいじめられる側にも暗黙のルールがあります。
ルールは越えてしまえば単なる無法で何も残りません。
しかし、それを超えぬように無法の中でも秩序が存在しました。
だが、「新人類」の親が「ゆとり教育」の子供を育てている現代において
何が秩序なのでしょうか。
社会、地域など身近なサークル、まして家族ですら機能していない現代社会において
「いじめ」は弱者を叩くだけの儀式に成り下がってしまった…と。
  
最後に実体験から「生きていればなんとでもなる。」と言うこと。
わちは体を悪くしました。癌にもなりました。左手痺れて動きにくいです。
低学歴、低収入、高カロリーです。
  
でも、両親を送り出し妻を娶る事が出来ました。
人間は負けたと思うまで負けないって事です。
嫌なら逃げてかまわない。避けてかまわない。
でも、最終的に別の道でも前に向かっていけばいいのです。
倒れるときも前向きでつんのめって行けば何とかなるのです。
雨風は凌いでいいです。回り道でもいい。
でも、前に進まなければゴールは見えません。
全ての人々が少しでもいいので前に進んでもらえることを望みます。